大人の階段

泣く子も黙る警視庁捜査一課。
って何度も来ているのではじめは今更泣かない。元からどこへ行くにも怖じない子供だったから権威だの権力だの威圧だのそういうものを脅威に感じたことがない。あちこちから

「金田一」と呼ぶ声がして「どもー。」と挨拶する。



子供の遊び場所じゃないと何度も言ったはずです。と声を聞くとはじめはさてやはり緊張すると思った。
彼が好きだから・・・・・・。
何故美雪じゃなくこんなやつに恋してしまったんだろう。
振り返るとクールな美男子で優男に一見見える明智健悟がいた。これではじめより10センチは軽く背が高い。肩幅だってそこそこ、ある。
そんなところに惹かれたのかな。

・・・・・・それだけじゃないな。

「剣持さんに呼ばれでもしたんですか。仲がいいのは結構ですが出来ればプライベートだけにしてください。ここはこれでも警視庁です。金田一君は確かIQ180と伺っていますが天才となんとやらは紙一重というものでしょうかね。何度も言っているはずです。学習能力がないですよ。ここは遊び場じゃありません。」



寒い・・・・・・。
なんてクール過ぎる対応だろう。
はじめは自分がどMなのかと思う。
こんな口調も悪くいなと・・・・・・。



どMだ・・・・・・とげんなりした。

「オッサン、今日いないの?明智サン。」
さっき。
「鑑識に行きました。調書の不備があったんで気になりますから調べ直してもらっています・・・・・・。」
こき使われてんなあ。オッサン。
たかだか東大出のキャリアに。涼しい顔して携帯電話をスーツのポケットにしまったこの男。仕事場から女にでもメールしていたのか。
はじめは鼻を指でかいた。
剣持にしてもたたきあげの警部。所詮警察官といっても書類仕事が多い。聞き込みや取り調べより遥かに書類仕事が多い。剣持と知り合わなければはじめにはわからないままだったがパソコンに不慣れなオッサンに同情する。






ふと、はじめは美雪からもらった紙袋の存在を思い出した。
大事なものがつまっている・・・・・・。

そうそう。
今日は2月14日。恋した女子が男子にチョコレートを贈る日。でも恋した男子が好きになってしまった女子にチョコレートを贈るのもよしとされている。じゃあ・・・・・・。



恋した男子高校生が惚れたエリートキャリア組の国家公務員に幼なじみがこのために作ってくれたチョコレートを渡すのは・・・・・・ありかな。

ありだとはじめは思った。
美雪の勇気を無駄にするような俺じゃダメだとはじめは心を決めた。






あのさ。
「真面目な話し明智サンにあんだけど時間少しかしてくれる?」
なかったら後日でもいいよとはじめはまっすぐ明智を見据えて言った。
「・・・・・・彼のことですか。」
明智の眼鏡のレンズが光った気がした。いや目が光ったのだろう。彼とは高遠遥一・・・・・・「地獄の傀儡師(くぐつし)」と言う名の天才犯罪コーディネーター・・・・・・。
はじめはちゃうちゃうと両手をばたばた振った。

「真面目な話しだけど事件絡みじゃないんだ。だから・・・・・・。ああ、いいや!明智サン、あんた今仕事中だし俺出直すわ。」
はじめはいつもついふらりとここにくるから自分は放課後でも明智は仕事中なんだと改めて気がつく。



今日は・・・・・・。
「実は非番だったんです。気になることがあって出てきましたが私の仕事は特に今はないんです。剣持さんの書類を後でじっくり拝見はしますけど・・・・・・。話しくらい伺いますよ。」

えっと・・・・・・。
渡したいものがあるのと真面目な話し。
明智は呟いた。
「・・・・・・。まさか留年が決まったとか。」
それも違うし縁起でもないことをとはじめは訂正した。
だいたいそんなことになったところで明智に頼むことなどない。真面目な話しだとはじめが言うので明智はいっそ地下に停めている自分の車の中が第三者が介入しないで話せると言った。

「えー!車かあ・・・・・・。しゃーない。いいぜ。」
コバルトブルーのBMWである。
完全な密室だがひとに聞かれる心配は確かにない。・・・・・・距離が近すぎる気はするが断る理由はない。さっさと歩く明智の後をはじめが歩く。

明智警視・・・・・・。
美人婦警が声をかけてきた。
「あの、チョコレートです。普段お世話になっていますので・・・・・・。」
せっかくですが・・・・・・。
「気持ちだけで十分です。ありがとう。」
とまた颯爽と歩き出した。



なあなあ!
「あんた馬鹿か?あんな綺麗なお姉さんがチョコレートくれるっつーのに受け取らないって勿体ない!」
すると明智はふっと小さなため息をついて言う。
「一人からいただいてしまうと後が大変なんです。国家公務員ですしこういう行事が横行するのは好ましいとは思えません。断るのも悪く感じています。でも山積みのチョコレートの処理も大変ですし来月のお返しを考えるとまた困ります。金田一君は困らないんですか。日本ではホワイトデーは三倍返しが礼儀なんでしょう?七瀬さんと速水玲香さんとニ三さん・・・・・・。」
数が知れているのでそう困りませんね。
明智は短く笑った。
否定できん。
事実だから。
地下への階段を長い脚でおりていく明智の姿も男から見ても様になっていた。言ってることははじめの神経を逆なでするが・・・・・・。

「まああんたならモテるだろうな。じゃあ今年はチョコレート受けとんないの?一個も。」
確かに明智ならバレンタインデーにさぞたくさんのチョコレートを本来は貰うのだろう。三倍返しと言われればそうだがいろいろと面倒なんだと想像した。はじめなら受けとってチョコレート食べ放題なんて夢のようだが現実は案外胃を悪くするか虫歯ができるのが落ちかもしれない。
受け取らないですねと明智は言った。
「ロス時代はジョークですんだことですが日本ではいささか違う気がして。」

出た。
ロス市警時代の自慢話。
いくら恋をしたといってもすべてを受け入れるってことは無理っぽいとはじめは正直に思った。特にパットという金髪美人の女刑事さんのあたりの話しは・・・・・・あんまり聞きたくない。



それは嫉妬・・・・・・なんだろうなあ。
自分は完全な男だもんな。

地下駐車場で一際目立つのが明智のコバルトブルーのBMWだ。
「相変わらずキザったらしい車だな。」
はじめは助手席に座った。
「足回りもいいし好きなんです。エーゲ海を思わせる色も気に入ってます。見栄で乗っているんではないんです。この車が気に入ってるんですよ。だからご期待に添えませんが私もそうたびたびBMWを買い替えるだけの資産家ではありません。相変わらずこの車です。・・・・・・で、なんのお話ですか。つまらない話しなら仕事に戻ります。」
運転席で正面を見つめていた。
横顔、綺麗なんだよな。コノヒト。

「すぐ済むよ。まずはこれバレンタインデーのチョコレート。あんたに。」
はじめはリュックから美雪が紙袋に入れて綺麗にラッピングしているチョコレートを明智に渡した。



・・・・・・。
「これ七瀬さんからですか?」
明智は受け取り中身のラッピングをみてそう判断した。
うーん。
「確かに作ったのは美雪。で、一昨日俺がもらった。好きなひとに受け取ってもらってこいって・・・・・・。」

空気がぎこちないものにかわったなとはじめは感じた。

明智はじっとはじめを見つめた。
はじめは目を逸らさないままはっきり・・・・・・男らしく言った。



「俺、あんたのこと好きだよ。明智サンっていいやつだよなーって好きじゃなくて恋してる。」

よし。
これで美雪に会わせる顔が出来た。結果はどうであれ。
続けて一気に言う。



「でも俺男子高校生だし警察官でキャリアのあんたに自分が不釣り合いだってことはわかってる。でも言わないのは嫌だったんだ。いつか後悔しそうで。だから告白だけしに来た。あんたが答えを言う必要はないし・・・・・・今後俺をどうみたって構わない。俺は俺だし。じゃあ、真面目な話しは終了!また現場で会うかもな。」
とドアを開けてでていこうとしたら長い手がのびて来て助手席のドアがロックされた。

答えを言ってはいけないんですか。
この声・・・・・・好きかも。

いやそうじゃなくてとはじめは思わぬ展開に仰天していた。

「・・・・・・いや答え言っちゃ悪くはないよ。あんた俺を馬鹿にすんの好きそうだし。男らしく聞こうじゃないの。」
美雪があれだけ勇気を出して自分を好きだといった。
自分のために背中を押してくれた。
だからはじめは怖じなかった。









「・・・・・・君にはいつも先を越されます。さっきもメールしようと思っていた矢先に君は目の前に現れるし。突然ですけど今夜予定ありますか。」



へ?
はじめは素っ頓狂な声をあげた。

今日、実は私の誕生日なんです。
明智はあまり見せない・・・・・・見たことがない表情をして言う。
それは一瞬だったがはじめの心に残った。



「現役警察官が男子高校生に恋してはだめですか。金田一君。」
・・・・・・。
何かを言う前に唇に優しいぬくもりと感触・・・・・・。
今まで聞こえなかった自分の心臓の音がばくばくいっている気がして・・・・・・というかはじめは抱きしめられて明智の胸を叩いた。



「ひひはへひなひ。」
すぐその言葉の意味がわかったのか明智は唇を開放した。
ぜーはーぜーはーとはじめは呼吸する。

まさかのキス。
なんの準備もしてなかったから・・・・・・いや罵倒されたり無視されたり説教されたりするとばかり思っていたから・・・・・・。



「・・・・・・あんた、手が早いな・・・・・・。俺初めてのチューなのに。」
「それはすみません・・・・・・。でも君だけが恋してるわけじゃないんです。いい大人がみっともないですが・・・・・・。」
君のことばかり考えてるんです。



じいっと明智から見つめられた。
恐ろしく綺麗な切れ長の目。
外見だけにいかれたわけでもないのに見つめられるとさすがにはじめも落ち着かない。

俺だって。
「あんたのことばっか考えてるよ。」
はじめは窓の外を見てついそっぽを向いた。
怒ってますか。
明智にそう尋ねられてはじめはそうじゃないと言う。

あんたはさ・・・・・・。
「言わばキャリアだしこれからも出世コースまっしぐらな人間じゃん。警視総監にもなれるひとなんだろ。だったら好きって言っといてなんだけど・・・・・・未成年の男子高校生が好きってのまずくないか?ほらなんつったっけ。上司の娘と結婚したり・・・・・・。」
閨閥ですか?
そうそう。刑罰。



「・・・・・・発音が違うので後で漢字を教えますからね。ところで私は出世したいから警察官になったわけではありません。あの事件を調べるために刑事になったんです。忘れましたか。金田一君。」
「・・・・・・親父さんが最後まで調べてた事件だろ。三億円事件・・・・・・だったよな。」

よく出来ました。
「それに私はもう十分出世しました。警視正になれば所轄の署長におさまって現場指揮もとれませんしこれでも現場主義ですよ。これ以上の出世は望んでません。・・・・・・野心がなくて失望しましたか?」
ぶんぶんとはじめは首を振った。そのたびに明智の鼻先にはじめの髪の尾っぽがあたった。



だから。
「本当は今日君にメールをしてそれなりのレストランで告白しようと思っていたんです。・・・・・・先を越されましたね。」



はじめの頬を指でなぞった。
ずっと触れてみたかったこの頬。
つい先にキスしてしまったが。
あまりに真っ直ぐ自分に飛び込んできたはじめが愛しくて。小憎らしい生意気で下品な少年なのに・・・・・・忘れられなくて。



じゃあ。
「もしかしてさっきのチューはマジ?」
大きな目を見開いて明智に聞く。
当たり前です。
「アメリカでの生活が長いといっても好きでもない小生意気な子供に大人がキスなんてしません。覚悟がないと出来ないですよ。いくら自分の車の中といってもここは仕事場ですし。」

髪に触れた。
艶がある真っ黒な髪。女性の髪とは少し違う。女性はトリートメントなどきちんとするし柔らかい感触があるけれどはじめの髪は少し太いし硬い。
でも。



惹かれている。



じゃあ。
「俺のことマジで好き?興味本位じゃなくって?」
また物言う大きな目が明智を捕らえる。
「本気です。でなければ未成年にキスしません。」
私が捕まってしまいますと明智ははじめに薄く微笑んで言った。

なんだ。
両思いだったんだ。
はじめは笑った。

この笑顔。
この笑顔に確実に恋した。



「金田一君。今夜美味しいディナーはいかがですか。一人で誕生日は味気ないし皆さんと騒ぐのも私の流儀ではありませんし。一緒に祝ってくれますか。・・・・・・恋人として。」
恋人・・・・・・かあ。
手が早いなあ。大人はとはじめは思った。でも。






大人にコイヲシタ。
ソレモアリダ。
「いいけど・・・・・・プレゼントないぜ。あんた誕生日はもっと前に教えろよ。おれは8月5日だ。といっても金がないからあんたに贈れそうなプレゼントは用意できないなー・・・・・・。」
くすっと明智が笑った。


君の時間をプレゼントしてください。
「必要なものは自分で買えるものなら買いますし小遣いを親からもらっている子供からものは受け取れないですよ。君との思い出を作っていきたいです。だから・・・・・・。」



君と過ごせる時間をください。
それが私にとって一番のプレゼントです。



はじめはうんと頷いた。
君をくださいっていわれたらどうしようかと思ったけどそこまで一気にことは運ばないらしい。といってもいつかはそんなときもくるんだろうなあ。
大人とコイヲシタから。

考えてることはわかりますよと明智は笑った。からかうでもなく優しい笑顔だった。

「いずれはそうなるでしょうが物事にも恋愛にも順番が一応はあります。私も男子高校生に恋したことはないから疑問はたくさんあります。でもお互いが納得できるように恋していきましょう。せっかくの・・・・・・君は大事なひとですから。」

息継ぎできるようにしますと言われてまた唇が重なった。
・・・・・・こんなふうにもっとこのひとを好きになってくのかなあ、とはじめは腕のなかに抱かれながら思った。






美雪。ありがとうな。
美雪。ごめんな。






俺、やっぱりこのひとを好きなんだ。
マジで好きなんだ。
明智に手渡されたチョコレート。
恋が叶うようにって美雪がつくったチョコレート。
びっくりするくらい恋は叶った。












でも。
「あんた、俺と警視庁で会う度、嫌な顔するじゃん。やっぱし子供だからくんなってこと?」
ディナーを高級レストランでいただく。会計は当然明智持ち。誕生日なのになとはじめは思うが・・・・・・出世でもしたら考えようと思った。美味しい料理を平らげるはじめを見て明智は満足だった。

「・・・・・・会えるのはうれしいんですけどね。嫉妬です。」
剣持さんと仲が良すぎますからね。
食後の珈琲を飲みながら明智は言いにくそうに言った。

オッサンと恋する訳無いじゃん。
「あんたって大人の癖に変におとなげないんだよな。嫌いじゃないけど。俺の方が多分大人だぜ。」
そういうことは。
「ケーキのクリームを口の周りに付けないで言ってもらわないと説得力が皆無です。」



なんだ。
このひと。
こんな優しく笑うんだ。






大人がコイヲシタ。
少年がコイヲシタ。
いずれは大人の階段を登る日が来る。
でもこのひととならそれもいいかなとはじめは思った。

キス魔だけど。

いつまでも口の周りにクリーム付けてると・・・・・・。
「またキスしちゃいますよ。」
なんて綺麗な微笑みでいわれたのではじめは慌ててナプキンで拭った。



いつも甘かった美雪の手づくりのチョコレートは少しほろ苦かった。
「七瀬さんには金田一君より素敵な恋人を捜さないといけないですね。」
私にとっては君が一番ですよと送ってもらう車の中で明智が言った。大人の階段って甘くてほろ苦いなとはじめは頷いた。






でも後悔しない。
このひとだって決めたから。
キザで自慢話が長くて嫌みで仕事完璧そうなのに推理でころっと足を取られるとこもあるけど・・・・・・でも優しい笑顔のこのひとって決めたから後悔はしない。

俺が守ってやんなきゃな。
なんてはじめは笑った。
そんな助手席の年下過ぎる恋人を横目で見て運転しながら明智は少し微笑んだ。彼ははじめが考えてることが薄々わかる。












不敵で生意気な少年に心奪われた。
二人が座礁しないように舵取はしっかりせねばなるまいと大人は考えていた・・・・・・。



2009/12/15 (火)